車洗いさん

職場の軽ワゴンが車洗いさんに、またやられた。

車洗いさんが悪いわけではない。あれは車を洗ってくれるいいやつで、汚れた車を放置している俺と社長が悪い。社長に至っては「汚れた車を洗ってくれるんならお得や」と笑っている。だが俺にとってはかなり気持ち悪かった。どこの誰かもわからないやつに車をいじられるのは不快じゃないか。

車洗いさんは汚れたまま乗り回している自動車があると現れて、勝手に洗う妖怪だ。ボディがピカピカになって車の下に洗車後の水が溜まっていることで出現を察知できるが、車洗いさんの姿を見た者はいない。

これだけなら割とかわいいやつだが、外装だけでなく何故か座席や窓の内側まで掃除していく。車内にゴミを落としていたら座席に並べて置いてくれている。車洗いさんが出た車の助手席に見慣れないピアスが並んでいて浮気がバレたみたいな馬鹿話も聞くので、意外と役には立ってるらしい。ほかにも無くしたヘアクリップや外れたボタンが発見されたという喜びの声もある。他人に車内を探られて平気なデリカシーが羨ましい。

問題は、この車洗いさんは鍵をかけても入ってくるのだ。ロックしようが車庫のシャッターを下ろそうが侵入を防ぐことはできないため、車洗いさんが出ないようにするにはこまめに自動車を手入れしておくほかない。

洗車サボると車洗いさんが来るで。
ばあちゃんは真っ赤なセルフレームの老眼鏡とおそろいの色にした自慢の軽自動車を、いつもピカピカに磨き上げながらズボラな俺に口酸っぱく言っていた。幸い俺は自分の車は持っていないし、愛車のハンターカブは小型バイクで表面積が小さいせいか車洗いさんのターゲットにはなっていなかった。

ただ、勤め先の営業車には車洗いさんが出てしまった。俺が家に乗って帰った社用の軽ワゴンを洗われてびびってるのを見た通りすがりの近所のおっさんがは、「そら車洗いさんやな」とこともなげに言った。真木の人たちはかなり昔からこの怪奇現象と共存してきたらしいが、年明けからばあちゃんちに住み着いた俺にとっては常識を覆される異常事態だ。

車がきれいになるのだからいいだろうと笑ってる連中は、さっきのおっさんや社長に限らずいくらでもいる。だが、車はプライベート空間だ。妖怪だか幽霊だか実在の変質者だかわからないが、勝手に探られるのは気持ち悪い。

それに車洗いさんがふつうにワックスとタオルで車を拭き上げているとは限らないじゃないか。俺は小学生の頃にアニメか何かで見た「妖怪あかなめ」が風呂をベロベロと舐めまわしている様子を思い出して顔をしわしわにした。

車洗いさんの2度目のアタックから2週間。またしても営業用軽ワゴンが汚れ始めて、そろそろ洗車した方がいいかなと思っていたのだが、急な出張で県外に高速道路を飛ばして出かけることになってしまった。折りしも花粉と黄砂の季節、しかも峠越えで小雨に遭ってしまったこともあって、帰ってきたころには白かった軽ワゴンが黄な粉でもまぶしたかのように汚れてしまっていた。ドアに貼った「えび屋時計店」のマルーンカラーのロゴもくすんでいる。

これ洗わないとあいつが出るよな……と気にはなったが、慣れない出張で猛烈に疲れていた俺は何もかもが嫌になって、ガレージ前に適当に車を停めてまずは風呂に入った。

風呂から上がって、ばあちゃんが作ってくれた夕飯を済ませたころには日が暮れて真っ暗になっていた。俺は食後のサイダーの瓶を片手に、夕涼みがてらガレージの方へ歩いて行った。そして、目の前の光景を見て全身を硬直させた。

ガレージ前に停めた白い軽ワゴンに、黒い塊が這いまわっている。

塊は枕くらいのサイズで、ゆっくりと車を舐めながら移動している。舐めたあとにはよだれみたいな透明な液体が垂れて、ボディの下に溜まっていた。1匹だけかと思ってたら他に2匹いるのが見えたとき、俺は耐えきれなくなって思わず変な声を上げてしまった。

その瞬間、黒い塊が一斉にワッと飛び上がり、ヌルヌルヌルヌルヌルッとヘビみたいな動きで、大慌てで近くの茂みに飛び込んで逃げ去ってしまった。車を這いまわっていた3匹の他に、もう1匹が助手席のドアからスパァンッと飛び出てきたのを見てしまってもうダメだった。あまりの衝撃に俺はその場にへたり込んで、ただ茫然とピカピカに磨き上げられた車を見ていた。地べたに尻をつけたまま5分か10分くらい経ったころ、ようやく冷静になってバクバクする心臓を押さえながら車を点検することにした。

車体は文句なしにきれいになっている。だがあの謎の黒いやつに舐めまわされていたのかと思うとものすごく嫌だ。しかも車体の下に溜まっている水は連中のよだれらしい。気持ち悪すぎる。

車外をひととおり点検し終わり、中も見ておかないとな……とおそるおそるドアが開きっぱなしの助手席を覗き込んで、俺は再び変な声を上げた。シートの上に、さっきの黒いやつのちっちゃいのがいる。ナマコくらいのサイズのそいつは逃げもせず、もぞもぞと動いている。さっきのやつらの子どもだろうか、これ。

このままにしておいて死なれるのも嫌だし、放置して車の中を舐められるのはもっと嫌だ。俺は母屋に駆け戻ってタオルと小さめの段ボールを取ってきて、タオルをかぶせて意を決してそいつをつかみ、段ボールに放り込むと車を走らせた。幸いこういうのに強い知り合いがいる。その人を頼るしかない。

******

槇神社は真木の北の山沿いにある小さな神社だ。正確には神社ではないらしいが、俺も社長から聞いてるだけなんでよく知らない。神社じゃないから鳥居も本殿もなくて、境内に拝殿だけぽつねんと置かれている。この申し訳程度の拝殿を申し訳程度に管理しているのが、これから訪ねるチカさんだ。

チカさんは「えび屋時計店」の馴染みのお客さんで、槇神社の管理をしている爺さんだ。小柄で髪もひげも真っ白だから結構な歳に見えるが、口調もフットワークも老人とは思えないほど軽いんで、思ってるよりは若いのかもしれない。神主さんがかぶっているみたいなアレをいつもつけているから最初は神主か何かだと思っていたら、神職じゃないどころか「ここは職場で、私は仏教徒や」と言う。本当に管理しているだけらしい。被り物は制服だかららしいが、それなら服も和服にすればいいのに、洗濯しやすいからと普通の洋服を着ている。

うちの店と槇神社の関係は、古くは時計の購入や修理が主だったらしいが、今の社長の代になって社務所のネットワークを管理したりパソコンや周辺機器の買い替えを手伝ったりもしている。

普段のチカさんは境内をてきとうに掃除する以外は社務所のパソコンで何かをまとめたり事務作業したりSNSをつついて遊んだりしている。そして稀に俺らに降りかかる土地にまつわる面倒ごとの処理に手を貸してくれ、そんなときはいつもの適当さをチャラにして余りあるほど役に立つ。800年ほど生きてるという、しょうもない冗談もまんざら嘘ではないのかもしれない。そんなチカさんならこの謎の生き物も何とかしてくれるはずだ。

境内へ続く石段のある、鳥居代わりに注連縄を渡された2本の樹が見えるが、車では登れないからここは通り過ぎる。しばらく進むと紙垂が1枚だけ括り付けられた銀杏の木があって、そこが境内に上がるスロープの目印だ。これを見逃すと藪で覆われた入り口にはまず気付かない。見た目ではどこに道がついているのかわからない薮だが、紙垂を目掛けてワゴンの鼻先を突っ込むと、そこだけ何故か生い茂る草木に引っかからずに進むことができるから謎だ。ここに来るたびに狐か狸にでも騙されている気分になる。ふと気になって、助手席のダンボールをちらっと覗くと黒い毛の生えたナマコがやっぱりいた。だけどさっきより動きが少ない気がして弱ってきているんじゃないかと焦る。早く行かないと。

薮のスロープを登り社務所の裏手にある駐車場に車を停めて、ダンボール箱を抱えて車を降りる。社務所の玄関のチャイムを鳴らすと、奥の方から「待ってぇ〜」と間延びした返事が聞こえ、ぱたぱたと足音が近づいて履き物をつっかける音がしたのと同時くらいで引き戸が開いて、チカさんの細くて皺の多い顔が覗いた。

「こんな夜中に何しに来たん」
金縁の丸眼鏡がずり落ちたのを直しながら、チカさんが眠たそうに俺に尋ねる。服はパジャマだが、例のアレだけはしっかり被っている。目を覚まさせるためにも、俺は小脇に抱えたダンボールをチカさんに突き出す。

「チカさん、これ、これ」
これ見て、と差し出したダンボールの中身を、チカさんはしげしげと眺めて眉根を寄せ、少し考えたあとためらいもなく黒い毛皮を人差し指の背でやさしくなでた。

「……あー、野槌(のづち)かなこれ」
「野槌」
「うん、聞いたことない?」

まあ入って、とチカさんに促されて社務所のリビング(本人は応接室だと言い張っている)に通され、ダンボールを抱えたままソファに腰かける。チカさんは本棚から文庫本を一冊取り出して俺の前に持ってきた。「画図百鬼夜行」とタイトルのあるその本をパラパラとめくり、「ああ、あった」と俺に開いて見せてくれた。

「これね」
文庫本の片方のページに描かれていたのは筆の線画だけの気味悪い絵で、毛虫みたいな目も耳もない筒状の生きものにウサギが丸呑みされていた。左上に「野槌」と書かれている。
「うわ、見たことあるわ」
これは憶えている。小学生のとき妖怪大百科みたいな児童向けの本に載ってたやつによく似ている。こんなのに襲われたらどうしようと恐くて仕方なかったんだった。膝の上にいる黒いこいつと見比べると似てはいないけど、筒状で口だけがあって毛が生えてるあたりは特徴がとらえられている、気がする。

「実在するんや……」
「そら今こうやってここにおるんやしなあ」
絵を見ながらポカンとしてる俺をよそに、チカさんんは野槌の子らしいと判明した生きものを皺の多い指の先でやさしくなでている。毛並みが別珍みたいで確かに気持ちよさそうだ。

「とりあえずどうしたもんかな」
正体が判明したところで何の解決にもならない。どうしたらいいんだこれ、と眉根を寄せていたら、「毛が生えてるし、あったかいから保温が必要ちゃうかな」とチカさんが言い出した。え、と思っているうちにチカさんはキッチンカウンターの向こうに廻り、空のペットボトルに水とポットのお湯を入れて混ぜて、それを掌で包んで温度を確かめたあとタオルで巻いてダンボールに入れた。

ペットボトル湯たんぽだ。子猫を拾ったときに作るやつ。
野槌の子は温度に反応したのかペットボトル湯たんぽにモゾモゾと這い寄り、モゴモゴと寝返りを打ったあと、いいポジションが定まったのかおとなしくなった。
「あ、落ち着いた」
野槌の子の体全体が呼吸でゆっくり上下するのを見た俺が安心すると、チカさんもちょっとホッとしたらしい。
「あとは食べもんやな。ミルクとか飲むかな」
完全に子猫の保護のノリになってるチカさんに「哺乳類なんこれ」とつっこむと「さあ」と心もとない返事のあと「コンビニで見て来よかな」と出かけようとするのを慌てて止める。

「あ、待ってチカさん俺が行くからここおって。これと2人になるの嫌や」
こんなすぐ死にそうな弱々しい命を預かるのは怖いし、そもそもこいつは生きている怪奇現象みたいなもんだ。何かあったときに二重の意味で対処できない。引き止められたチカさんは「私をこれと2人きりにするのはええんか……」と、むぅーとした顔で振り向いた。
「え、だってチカさん慣れてるでしょ」
さっきの対処といい基本的な知識量といい、どう考えても俺よりは対応力があるやんとフォローしたら、「私だって野槌見るの100年以上ぶりなんやけど」と、いつものしょうもない長生きギャグで返しながらメモに何か書いてこちらに渡してきた。

「ほな猫ミルクかヤギミルクか乳糖分解牛乳にしてね、なかったら砂糖水で持たせるから」
渡された買い物リストを見ると、家で見たことがある銘柄があった。
「あ、猫ミルクでいいならうちの猫用のがあるわ。ばあちゃんにストックあるか聞いてみる」
さっそくスマホを尻ポケットから取り出して、その場でばあちゃんに「家に猫ミルクある?今すぐ必要」とメッセージを送ると、何分も立たないうちに返信が来た。

ダンボールを覗き込んでいたチカさんが顔を上げて「絢子さんなんて?」と訊ねるので、ばあちゃんの返信を意訳する。

「いまからミルクとシリンジ持って、こっち来るって」

******

保護が必要な採れたてぷりぷりの子猫がいると勘違いして真夜中に車飛ばして爆速で駆けつけたばあちゃんは、ダンボールの中ですやすや寝ている謎の黒い生き物を見て「子猫ちゃうんかいな……」と多少がっかりしていた。

「猫とは言うてへんやん……」とツッコむと、「ほな言うたかて猫ミルクが今すぐ必要な生きもんが子猫以外にいると普通の人がすぐに思いまへんやろ?最初の1通で何が起こって何に困ってるか順序立ててきっちり説明せんと誰でも勘違いしますわ。あんたら若い子ぉらは特にやけど、レスがすぐ来て会話できること前提にメッセージ一個一個短く送ってくる癖があってかなんわ。説明する相手がメール世代の年寄りやてわかってるんやったら最初から長文で送ってきなはれや。そのくらい気ぃきかせられるようにならへんと仕事んとき困りまっしゃろ?」と怒涛のように淀みなく反論しながら、流れるような動きでシリンジを熱湯消毒したり猫ミルクを湯煎したりしている。小柄なばあちゃんの真っ白なパーマヘアがカウンターに見え隠れしつつマシンガンのように喋りを発しているのを、俺とチカさんは野槌の子を挟んでただ朗読のように聴いていた。

ほどなくして授乳の準備が整い、ばあちゃんはシリンジ片手にダンボールをのぞき込んで、「これどっちが頭や……」とさっそく困惑した。
「片方にピロッと短い尻尾があったから、無い方が頭やで多分」
チカさんはいつのまにか野槌の身体的特徴を把握していた。ばあちゃんの到着までずっと野槌の子を構っていたと思ったら、どうもその間にいろいろ観察していたらしい。

ばあちゃんと一緒に俺もダンボールをのぞき込むと、確かに片方の端に子猫の尻尾みたいな、細くて短くてふさふさの何かが生えている。つつくと尻尾がない方向へもぞもぞ進むから、進行方向が頭なのだろう。

ばあちゃんは尻尾が無い方にシリンジの先を持っていって匂いを嗅がせて様子をうかがっていたが、「反応鈍いなあ……保定して飲ませよか」と手を伸ばしかけて、「これはどっちが腹や……」と再び困惑していた。

「……ああ〜、天地逆やったら途中で抵抗するやろ。もういい、これで行く」
子猫の保護には腕に自信のあるばあちゃんだが、さすがに未知の生物には手こずっている。特に役にも立たず見てるだけの俺は、せめてばあちゃんの好物のコーヒーでも淹れようかとキッチンに回った。勝手知ったるチカさんち、戸棚のキャニスターにばあちゃん好みの浅煎り豆があるのを見つけて3杯分ミルで挽いていると、「あああ!飲んでるぅ!」と間の抜けたチカさんの歓声が背後から聞こえてきた。

コーヒーをドリップし終えてコーヒーカップを3つリビングへ持って行った頃には、野槌の子の授乳は終わっていた。満腹でペットボトル湯たんぽにもたれて寝息を立てている黒いツチノコをつまみにコーヒーをすすりながら、「親元に返そう」という相談を俺たちは始めた。

チカさんはばあちゃんから野槌の子の授乳方法を教わって、あす丸一日預かってくれることになった。俺とばあちゃんは家に帰ってまずは寝て、起きたらばあちゃんはご近所に声をかけて車洗いさんのエサになりそうな小汚い車を調達してくれるらしい。俺も手伝おうかと申し出たが、「若いもんはちゃんと仕事しぃ」と尻を叩かれて送り出された。

昨晩あの黒い連中に舐めまわされた社用軽ワゴンは、朝日を浴びて真っ白に輝いている。なんだかなあと思いながらエンジンをかけ、いつもの時間に店に出勤すると俺より先にチカさんが来ていて、例のダンボールを社長と覗き込んでキャッキャと歓談していた。

「何してんのチカさん…」と呆れながら声をかけると、「きみんとこのボスに画像送ったら連れてこい言われて」と特に悪びれもせず返してきた。社長はというと、仕事道具の一眼レフを持ち出して「か〜わい〜」とか言いながらご機嫌でバシャバシャ撮影している。

あ、これ今日は仕事にならないやつだと全てを諦めた俺は、店舗側を社長とチカさんに任せて、店の奥に引っ込んで昨日の訪問先にメールを送ったり細ごました事務作業や在庫確認をしたり、余った時間は掃除や整頓にあてて、それでも潰せない時間はマップサービスで海外の美術館をうろついたりしていた。

そうこうしているうちに夕方になり、早めに店じまいした俺ら3人と1匹は社用軽ワゴンに乗り込んで俺んちに帰宅した。ガレージ前にはいかにも車洗いさんが舐めに来たくなりそうな小きたない軽トラが停まっている。車洗いさんのはじめての襲撃のときに俺に声をかけてきた近所のおっさんの提供らしい。チカさんと社長と野槌の子は家の前で降ろし、俺は軽ワゴンをそのおっさんちのガレージまで停めに行く。ばあちゃんの軽は別のご近所宅に停めさせてもらってるらしい。

車洗いさんが出るのは完全に日が暮れてからだ。日没を待つあいだ、俺らギャラリーはガレージに縁台やパイプ椅子を持ち込んで待機スペースを作る。軽トラを提供したおっさんも含めて人間5人がかりの見守り体制だ。暗くなったのを見計らって、野槌の子をダンボールごと軽トラの荷台にそっと置き、シャッターを半ばまで閉めたガレージの中から様子を伺う。

ほどなくして、小きたない軽トラに枕サイズの黒い塊が登りはじめた。今日は3頭。そのうち1頭が軽トラの荷台によじ登り、ダンボールの中を覗き込んでいる。

野槌の子に何かあれば俺たちが飛び出して助けなければと覚悟していたんだが、いま目の前にいる成体の野槌は、フンフンとにおいを嗅ぐような動作をしたあとダンボールに頭をつっこみ、5秒ほどで頭を上げた。野槌の頭の上にあの野槌の子が乗っている。よく目を凝らすと、他にも同じくらいのサイズの黒い塊が2匹、近くに乗っているのが見えた。兄弟なのかもしれない。

成体野槌は野槌の子たちを頭にのせたまま軽トラを機嫌よくなめ、10分ほどで他の野槌と一緒に軽トラから降りて茂みに消えていった。野槌たちが去ったあとのピカピカの軽トラの荷台には、ダンボールとタオル、あとペットボトル湯たんぽだけが残されていた。よかったとホッとする気持ちと、ほんのすこしさみしい気持ちとをその場にいた野次馬の人間たちはそれぞれ抱え、おのおのビールなりサイダーなりを開けて祝杯を上げた。

その後、うちの近所に出没する車洗いさんには微妙な変化が見られた。今まで正体を見せることのなかった車洗いさんたちは、車を舐めている現場を人間に見られてもすぐには逃げなくなったのだ。こちらが近づきさえしなければ頭をもたげて少し警戒するだけで、再び車を舐め始めるようになった。人間は大した脅威じゃないとナメているのかもしれない。

そしてもうひとつ変わったことに、俺のハンターカブまでもが舐められるようになってしまった。どうも群れの中で特に小柄なやつに気に入られてしまったらしい。でかい車洗いさんでは小型バイクにもたれかかると倒してしまうが、幼獣サイズだと平気でバイクの上にも登れるのだろう。一度現場を押さえたが、チビっこい黒い塊がハンドルからライトにかけて器用に移動しながら車体を舐めていた。おそらくあのとき助けたあいつだろう。

車洗いさんの正体がわかって、1日だけだがふれあいもして、俺は車洗いさんを不気味だと思わなくなった。ばあちゃんは「野槌の子への餌やり」という言い訳で愛車の掃除をサボる俺を、呆れ顔で見ながら相変わらずピカピカに赤い軽自動車を磨き上げていた。