郷土史家の原稿の一部

「まき」は元々ひとつの種類の植物を指す名称ではなく、真っ直ぐ立派に育つ針葉樹全般を指す言葉であり、コウヤマキやイヌマキの他に、スギやヒノキも「まき」と呼ばれていた。真木の地名もコウヤマキの群生地があるところからであり、平安後期以降にこの地を所領とした武士団が「真木」を名乗るようになった。

武士団としての真木氏は応仁の乱で世が荒れるなか室町中期に断絶したが、その後は別の一門が真木を名乗り同地を統治するようになる。この後も真木氏は明治に至るまでに5度血筋が絶えているが、そのたびに養子を取ったり他家が移住するなどで存続し、当地が「真木」を名乗る一族の支配の空白になることはなかった。現在の真木家は明治中期に夫婦で養子に迎えられた真木龍太郎(旧姓:井川)氏と光子氏から続いている。

真木では良質な木材が獲れるが、大木が林立する森の奥に踏み入ったものは突然昏倒して死に至ると云われ、木こりも近寄らぬ禁足地とされていた。現在は真木家の私有地で、一帯は立入禁止になっている。

山の形がとぐろを巻く蛇に見えるから「まき」と呼ばれてたという異説もある。

(原稿用紙左下に走り書き)
取材OK
えび屋時計店 6月2日14時〜
真木四郎氏
真木氏統治以前の真木
平安中期 祝部 昔話 蛇
掲載不可?

(この原稿は修正を経て、「真木郷土史」として昭和54年11月に出版された)