ええ、訊かれましたよ。若い雲水(遊行僧)で、名前は確か円……そう、円親(えんしん)だ。因幡の寺で修行を終えて、今は遊行中の身だとか。畿内の出だと言っていたね、何でも生まれの地で大昔に何があったのかを調べていて、方々で聞き取った伝説伝奇のたぐいを書き集めているらしくて。
どんな話か聞いてみたら、大蛇(おろち)より恐ろしい化け物に土地を荒らされて退治したというのだけど、そんな童(わらべ)向けの御伽草子みたいな話が現(うつつ)にあるかね?真顔で落ち着き払って言うものだから、巫山戯(ふざけ)ているようでもなさそうだし、どうしたものかと思って。
円親どの曰く、山陰も山陽も、この中国には何かしらが退治される昔話が多いらしいね。まあこのあたりの国は吉備も出雲も、神代(かみよ)の古(いにしえ)より都から敵と見做され、国を造っては滅ぼされを繰り返しているからさもありなんという気はするね。都からは我ら辺境の事情など見えぬ。何でもかんでも中央の理屈で統治しようとするのはどうなんだね?
これがその円親どのが集めた話を記した日記ですよ。預かるように頼まれてね、旅の身では持ち歩けるものは少ないから。勝手に読んでもいいとは言われてるんで読んでみたんだが、これはよくまとまっているね。
え?燃やす?駄目ですよ、これは預かり物です。いかなる事情があれど、あなたが何者であっても、譲るわけにはいきません。離してください、やめ、うわっ火が どこから
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ここもやられたか。
備中の山深くにある寺に、預けた日記の写しを取りに来た円親は、一部が黒く焼け焦げた本堂と、書を燃やされたことを詫びる住職を前に虚空を見上げた。故郷でよく見た真木の森にもよく似た、ひのきや杉の類の林が、山深い寺を覆っている。
遊行に出て幾年か、故郷の真木で見たものに関して各地を調べるうちわかったことがある。何者かが記録を消して回っているのだ。
たいていの昔語りには元となった事の起こりがある。それが人々の口を介して伝わるうちに「話」が形作られる。元の事とは形を変えながらも、根幹の部分は保たれる。そういった口伝が真木のあの山に関するものについてはほとんど拾えず、何とか記録できたとしても記した先から消される。
しかし、何度も書を消されては書き直すうちに、円親は記録を暗記するようになった。今となっては日記を読み返さずとも、写しを預けた寺を記した地図を見るだけで、記録を記憶から引き出せるようになった。
私の記憶こそが真木の記録だ。何ものにも消させない。
濃い緑の杉林に覆われた寺の参道を下りながら、頭に刻み込んだ記憶と手元に書き留めた記録とを忙しなく照らし合わせて頭の中で並べ直していく。途中、何者かの視線を感じて振り向いたが、杉の幹の間を風が抜けていくだけで人の姿は見えなかった。